第23週-24週 : 7月1日-14日
投手交代...
長い4日間のレイオフの後、マリーンズとの3連戦を5分で分けたんだ。わからない?日本の野球について詳しくないとわからないと思うけど、引き分けっていうルールがあるんだ。12回以降は試合は続けず、引き分けってことになるんだ。マリーンズと引き分けたので1勝1敗1分でシリーズを分けることになった。今シーズンこれで2回目だ。
ロッテ相手には1回しか投げるチャンスがなかった。それでとてもヘンなことを経験したよ。イニングの頭から投げて、相手方の打順はスイッチヒッター、左、そして右っていう順番だった。その時点で1点負けていた。
先頭バッターはカウント2-2から1、2塁間を抜けるヒットを打った。それほど心配はしていなかった。ノーアウトランナー1塁だから、いつも通りダブルプレーを取ってやればいい。自分はフライよりゴロをよく打たせるタイプだから、ダブルプレーを取れるチャンスっていうのは好きなんだ。
そしたら驚いたことにそのヒットの直後投手コーチの杉本さんがマウンドの方へ向かって出てくるじゃないか。わたしを交代することを話しているんだよ。完全に混乱したね。次のバッターは左で、なのに交代?もっと守備がいい投手に代えたかったんだって言われたけど、そんなの意味が解らない。
2軍から戻ってきてから、いいピッチングをしてたし、左には1本もヒットを許して無いし、四球もゼロだ。守備でも2つほどいいプレーがあったし。この前わたしからバントを試みた左バッターは2つ三塁ベンチ方向にバントをファウルして、結局ゴロでアウトになった。ここはバントの場面で、自分では自分が適任の場面だと思ったのに。彼らはそうは考えなかったってことだな。わたしは交代し、その左バッターはバントを成功させ、結局そのランナーは得点したんだ。6-6の引き分けの、6点目だった。
コーチの決定には従うしかないし、それは世界のどこでプレーしていても同じことだ。リリーフ投手というものは大きなアウトをとりたいと思っているし、だから大事な場面で交代させられたら、面白くはないよ。
大変な旅...
ホークスにとってとても大変だった48時間の旅が終わろうとしています。福岡でのマリーンズとの3連戦の後、仙台、盛岡、そして立川へ7日で5試合のロードに出ています。
月曜日は休みでしたが、午前10時10分のフライトに搭乗することになっていました。名古屋で物凄い短い乗換えで花巻行きのフライトに乗りました。着陸後、今度は盛岡まで1時間のバスです。盛岡では楽天イーグルスと地方球場で1試合やることになっています。ホテルには午後2時15分に到着しました。その日は練習があり、その為のバスの出発は3時半でした。
これは外国人にとっては結構大変でした。あなたがどんな仕事に就いていても、出張で長旅をしてやっと目的地に着いたら、とりあえず落ち着きたいと思うでしょう。練習は、そんな時に最もやりたくないことですが、選択肢はありません。非常に疲れてはいましたが、ベストを尽くすよう、心掛けました。
練習は長く感じましたが、なんとかやり遂げました。結局、向こうでは黄金のルーティーンであるヤキニク、ダーツ、カラオケの時間は作ることが出来ました。盛岡に来るのは今回が最初で最後なので、多少疲れてはいましたが、少し街をチェックしたかったのです。
あくる日の試合はあまりうまくいきませんでした。8-6で負けました。そして今、仙台へ向かう2時間のバスドライブの中にいる訳です。今、とても疲れています。長旅と練習の月曜、そして長い試合と長いバスドライブの今夜。地方球場での試合でしたから、まだシャワーも浴びていないのです。 わたしもチームメイトも少々臭いますが、ホテルに到着するまでまだあと1時間20分はバスの中です。早くシャワーが浴びたいです。枕と殆ど同じぐらいに楽しみです。
立川の親戚...
やっと対イーグルス、ライオンズの6日で5試合のロードが終わりました。仙台(イーグルス)で1試合雨で流したので、次に仙台に行くときか、またはシーズンの終わりに代替試合をする必要があります。1勝3敗でしたから、あまりいいロードではありません。順位を落としていますし、直ぐに立て直す必要があります。
わたし自身はロードの試合で登板機会がなく、その間のオフの日も含めると殆ど働いていません。リリーフ投手として、わたしは出きれば頻繁に投げたいですが、いつ投げるかは自分で選べません。しばらく投げていないと、調子を保つのはいつも難しいです。リリーフ投手の間ではときどきブルペンのことを宴か飢えかなどと呼んだりします。連投が続き、休みが待ち遠しくなるときもあれば、最後に投げたのがいつだったか思い出せないようなときもあります。それがリリーフ投手の宿命です。
このロード中の出来事でナイスだったのは、親戚のビジターがあったことです。ニューヨーク在住の従兄弟が埼玉出身の日本人女性と結婚していて、現在彼らはアメリカに住んでいるのですが、わたしが日本でプレーしているのを知り、わたしがライオンズ戦でこちらの方面に来る時期に合わせて彼女の実家に来ていたのです。日本で親戚に会えるなんて本当に素敵でした。それに、日本語のネイティブを相手に日本語の練習をしたかったし、それが自分の親戚ならなお更です。その前に彼とその家族に会ったのは約1年前ですが、その時はわたしは日本語を全く知りませんでした。従兄弟の奥さんに、わたしがどれくらい上達したか見せたら面白いだろうなと思いました。
本当に面白かったのは、バイリンガルの彼らの子供たち相手にわたしが日本語を試したときです。子供たちは日本人と話すときだけ日本語を使うらしいので、わたしが彼らに向かって日本語で話すと、驚いたような顔をして、ときどきしか返事をしてもらえませんでした。しかも英語で。それはわたしにとって興味深かったですし、楽しかったです。子供たちは可愛いし、立川で彼らとそしてその家族みんなに会えてとてもよかったです。この日本での経験はとても素晴らしいものなので、それを誰かとシェアできると嬉しいです。
強敵に再び挑む...
わたしはまたしても北九州のマウンドに登る機会(危機)に恵まれた。このブログをずっとフォローしてくれている人なら解ると思うが、北九州は所謂福岡の地方球場というやつで、われわれはレギュラー・シーズンのうちに2試合をここで行うのだ。それはまぁ、想像できる全てかもしれないし、それよりはましかもしれない。日本のチームは結構な数の試合を地方球場で行う。その地方での野球人気を掘り起こすためだ。
北九州はヤフードームから約1時間で、いつもたくさんのお客さんが入る。施設はメジャーとはちょっと違う。わたしにとって最大の難点はブルペンと試合の両方のマウンドだ。こういったタイプの球場は外国人にとってアジャストが難しい。特にアメリカ人にとっては難しい。
前回に北九州では散々な試合だった。1イニングを投げて、4人を歩かせ、1人にぶつけ、2点を献上した。今回はこの北九州で、強敵を倒すぞと心に決めていた。わたしは6回に左打者のところで登板した。イーグルスは右打者を代打に送り、2つほど際どいボールのあと、結局歩かせてしまった。わたしが投げたのはこの1人だけだった。
いろいろな理由でわたしは怒っていた。まず、審判は少なくとも2回、ミスジャッジをした。二つ目に、6月1日に2軍から戻って以来、一人も歩かせていなかった。4月に12人歩かせてから、5月は1人、6月は0だった。四球で塁上を賑やかせることを極力減らそうと注意していた。このまま今シーズン一人も歩かせることなく終われるのではないかと、本気で考えていた。ほとんどの人はそんなことは無理だと思うかもしれないが、わたしはいまだにそう出来るのではないかと考えている。三つ目に、そのとき、2アウトで、わたしには3つ目のアウトを取ることが必須だった。結局、そのイニングは3人のピッチャーを使って7点を許してしまった。四つ目、あれほどまでに北九州を倒してやろうと思っていたのに、ダメだった。また北九州にやられたのだ。
北九州での試合はもうない。それは多分いいことなのだろうが、あそこにはわたしがまたあそこで投げたいと思わせる何かがある。恐らくわたしは、どれだけ環境が悪くても、わたしはあの球場でもちゃんと投げられるのだということを証明したいのだろう。わたしの北九州における最終的な成績は、2試合で投球回1回、自責点18.00、5四球、1死球、1被安打、3失点(2自責点)である。北九州以外では、わたしは結構いい成績(自責点1.56)をあげているのだが。残念なことに今年はもう北九州での試合は終わってしまったので、もうどうしようもない。来年もホークスの一員でいられて、またこの場所で投げるチャンスがあることを願う。このチャレンジにはどうしても勝ちたい。
結局、11-10で負けた。9回までの試合なのに、信じられないことに5時間もかかった。イーグルスの全ての得点は5回以降のもので、それはわれわれにとって痛い敗戦だった。逆転、再逆転があり、本当に長い試合だった。リリーフ陣にとって本当に悪い日だった。シーズンの殆どはとても良い成績をあげているのだが。今、われわれは首位から5ゲーム離されている。でもまだ大丈夫だと思う。われわれの実力はこんなものではないし、だからそのうち必ずもっといいプレーをするようになると思う。今は首位から離されないように気をつけていれば、そのうちにわれわれの進撃が始まるだろう。その時は近い。