| 2月5日
週末が到来し、人の波も押し寄せる。ホークスは九州(人口約1300万人)唯一のプロ野球チームである。九州人1300万全員が今週末のホークス見物に繰り出してきたわけではないが、雰囲気としてはそういうj感じなのだ。こんなに観衆がいる春季トレーニングは初めてだ。トレーニングという言葉にご注目いただきたい。試合じゃないのだ。土曜日に15000人、日曜には27000人がつめかけた。しかもかれらファンたちは選手がちょっとでも振り向いてやると大喜びなのだ。
野球選手としての自分が赤の他人の人生とりわけ子供の将来にポジティブな影響を与え得る--これを理解するには時間がかかったが、わたしなりに理解してきたつもりである。ファンの要望にすべて応えることはできないが、わたしも年を重ねるごとになるべく応えていこうとしてきた。これまでの見聞の範囲でいえば、日本の選手たちはアメリカの選手たちほどファンとの交流をしていないように思われる。
サインを求める人があらゆるところにいるが、アメリカとは違い、かれらは本当に自分のためにサインが欲しいのだ。一部の選手がサインをいやがるようになったは、転売目的の場合があまりに多いからである。しかしこの地のファンたちはサインの注文に応じると純粋に大喜びしてくれる。わたしがファンとのコミュニケーションを図るべく日本語でなにか言おうものなら、もう大騒ぎになる。わざわざ日本語を学んでくれてありがとうと感謝してくれているようである。
先日の朝、サブ・グラウンドに向かう途中でリック・ガトームソンがファンにちょっとしたショーを披露した。リックはバスケット・ボール用のゴール前で立ち止まり、ジャンプして鉄のフープにタッチしてみせたのだ。8フィート・フープであることを考えれば、たいした芸当とはいえない。しかし周囲のファンたちが放った嘆声は、あたかもリックが垂直ジャンプの世界記録を樹立したかの如くであった。その翌日、リックがグラブをダンク・シュートしてみせたときは、さらに大きな「おおーっ」という憧れの歓声がファンたちの喉から発せられた。
そこでわたしがとった行動は? わたしはこの日本の片田舎でスポーツ・オーソリティーを発見し、バスケット・ボールを購入したのである。明日からリックとわたしは週末の大群衆に備えてスラム・ダンク・ルーチンの練習を開始する。ファンたちがなにを好むのか、それを知るうえで平日の群集をサンプルとしてみたい。とりあえず手持ちのわざを試そうという心算だ。きっと空中キャッチ・ダンクでみんな総立ちになるだろう。リックはここ日本でマイケル・ジョーダンとロジャー・クレメンスを合体させたスーパースターになれるかもしれない。
さて野球に話を戻す。先週末、わたしは二回目のブルペン投球を行った。結果、スギモトさんをパニックに陥れてしまったと思う。わたしは投球の際に少しだけ急ぎ気味になる。セットのときに完全に一旦停止することがまずないわけで、それがボーク宣告につながる可能性が大なのだ。リックの話では、日本のアンパイヤは完全停止を慎重に見届けようとするとのこと。スギモトさんは最初のブルペン投球の際にこの問題に言及していた。それから翻訳もれの文章がいくつか続いたのち、とにかく投げるときはいつでも、マウンドでもブルペンでも投球練習でも、なるだけ長いこと停止してくれと頼まれた。
スギモトさんが心配しているのはわたしにも伝わってくる。心配御無用、年間通じて一度たりともボーク宣告などさせませんと約束はしておいたのである。ともあれ2度目のブルペン投球ではスギモトさんのアドバイスを取り入れ、頭のなかでゆっくりとふたつ数えてから投げるよう心がけた。さて、その直接効果か間接効果かわからないが、正直いってこれほどコントロールよくブルペン投球を行ったのは久しぶりとなった。
わたしの心はいつも時速100マイルで駆け巡っており、そのためマウンドでも投げ急いでしまっていた。もしかしたら、というか可能性の話ではあるが、スギモトさんのパニックのおかげでわたしのコントロールがよくなるのかもしれない。まあ見てみよう。
今日はキャンプではじめてのオフ日であった。オフ日はあと4回あるという。アメリカでは、春季トレーニング全6週を通じてオフ日はたった1日しかない。もちろん、日本の労働倫理は驚嘆の的というしかないのであって、わたしたちがここで行っていることを見ればメジャー・リーガーもただただ恐れ入るしかない。それは間違いなく断言できるのである。
アメリカ人選手三人とわたしはオフ日をゴルフをして過ごすことにした。わたしたちはフェニックス・カントリー・クラブの敷地のど真ん中に滞在しているのだ。このコースでは毎年フェニックス・ダンロップ・トーナメントが開催されており、かつてタイガー・ウッズが2年連続で優勝したことがある。当然ながらすばらしいコースである。クラブのレンタル、昼食代、コース使用料で計26000円(215ドル)。
18ホールを徒歩でいくしかないとわかって、仲間たちは少しがっかりしていた。わたしはゴルフができると興奮していたので、気にならなかった。各グループには1名キャディーがつくというのがここの決まりである。それはいいのだが、キャディーがみんな女性だと知って、わたしは驚いた。女性のキャディーなど会ったことがなかったが、女性キャディーのみを提供するコースが嫌だというわけでもない。そういうわけでカズミはキャディー・カートにわたしたちのゴルフバッグ4つを積み込み、いざゆかんとなったのであった。
カズミはなんとも忙しく立ち働いた。そしてわたしも認めるが、他人がわたしのために働いてくれることを本当にエンジョイしてしまった。必要なクラブを持ってきてもらう。使ったクラブはすぐに磨いてくれる。グリーンまでの距離を教えてくれるし、どうかするとわたしのパット前のボールすら磨いてくれるのだ。こんなに甘やかされてしまったら実社会に戻って生きていけるだろうか? 妻にお願いしてやってもらうという手もあるにはあるだろう。お願いしてから数日間、首に巻きついた9番アイアンを必死でほどこうとする自分の姿が目に見えるようだ。
カズミはなかなかのエンターテイナーでもあった。本人が意図的にやっているのかどうかはわからない。ともあれ彼女はショットのたびにコメントを発する癖があるのだ。たとえばリックのボールが森のほうに飛んでいけば「あらあらスライス」と可愛らしい日本語アクセントで言ってくれる。わたしのパットがカップを外して10フィートオーバーすると「あー残念残念」とくるのだ。そしてバックが6フィート4インチ250ポンドの巨体でドライバーを握ると、わたしたちは「ビッグ・バック、ビッグ・バック、おっかねっもちー」とはやしたてる。それをカズミが真似するのである。それはおもしろかった。
4番ホールで彼女が突然「ふぁー!」と大声を出した。リックのティーショットの直後である。カズミはリックがミスショットしたと思ったのだが、実はリック一流の遊びだった。かれのスライスは見事な軌跡を描いてフェアウェイをわずかに外した場所に落ちた。カズミは自分のミスに少し混乱したようだった。数秒間、パニック状態になった。
さらに数ホール後、わたしたちがフェアウェイを歩いていると、背後から物音が聞こえてきた。振り返ってみるとカズミが缶ビールを手に呆然と立ち尽くしている。缶のどてっぱらからビールが噴出して、長さ8フィートの水流となっているのだ。どうやったか知らないが、彼女は缶ビールに穴をあけてしまったらしい。カズミは少し当惑した表情で思いっきり右腕を突き出していて立ちつくしていた。ビールはただ芝生を潤しているのであった。いまだに真相は闇の中であるが、このときわたしはビデオカメラを持ってこなかったことを後悔したのである。
彼女が知るわずかな英語は大いに役に立った。彼女はグリーンからのヤード数を的確に教えてくれる。ワン・ファイブ、ファイブ、と彼女は言う。155の正しい英語表現を知らないからである。ヤード数を言ったあとになにか日本語を付け加えるのだが、もちろんわたしたちにはわからない。そこで「ピンまで」を意味する「トゥー・ザ・ピン」を教えてあげると、彼女は嬉しそうだった。5番ホールに到着する頃には「ワン・ファイブ・ファイブ・トゥー・ザ・ピン」と言えるようになったのである。ラウンド終了後、彼女はお礼を言っていた。この次英語をしゃべるお客さんのキャディーをするとき、役にたつことを教えてもらってありがとうございます、とのこと。
彼女の行動かずあるなかで、わたしが一番気にいったものは彼女が日本語ですらすらとしゃべる三、四行の文章である。こちらが日本語がわかるかのように語りかけてくる。通常それは新しいホールにアプローチする際に発せられる。おそらくそのホールの攻略法をアドバイスしてくれているのだろう。このやりとりは通常彼女がどこかを指差して終わり、あとはすべて混乱するという具合であった。
わたしたちのゴルフ・ラウンドにはアメリカとは違う部分が若干ある。聞くところ日本では常にそうだというが、9ホールを終えてからの昼食が長すぎるのである。「ファイブ・ゼロ・ミニッツ」とカズミが言う。すなわちほぼ一時間たたないとわたしたちは10番ホールのティー・ショットを行えない。わたしたちは階上にあがってレストランで結構な昼食を楽しんだ。地元の料理というのは常に会話のねたとなるものだが、この食事も例外ではなかった。チーズバーガーに目玉焼きのトッピングとなれば本日の異常な組み合わせ食材大賞である。わたしは目玉焼きを食べた。バーガーは別にする。一緒に食べてパンの横から黄身が流れ出してお手手がべとべとになる図というのはどうにもいただけなかったからである。
なんだかんだでラウンドが終了する。わたしのスコアは格別よくはなかったが、2バーディーを記録できて嬉しかった。とくにひとつは超ラッキーものの40フィートのパットを決めてのバーディーだった。みんな楽しかったし、日本の春季キャンプの最初のオフ日はここちよく過ぎていった。ゴルフのあとは温泉(今日2回目)、食事、寝床である。仲間の話では、楽しい一日だったが徒歩のゴルフコースはもうごめんとのこと。そこで次にゴルフをやるときは隣のゴルフコースに行くことにする。こちらにはカートがあるのだ。とはいえわたしはもう一度このコースでもかまわない。わたしとて徒歩は好きではないが、カズミの無料エンタテインメントはそれを補ってあまりあったからである。
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2月7日
今日のわたしたちは伝説のバスケット・ボール・チーム「ファイ・スランマ・ジャンマ」である。すなわちリックとわたしがファンのまえで8フィート・フープにダンク・シュート練習を行うわけだ。これが熱狂をもって迎えられたのである。そして油断をしているとメディアの関心を集めてしまった。初日は数名のカメラマンがおり、適当にスナップ写真をとりはじめた。やがてダンクしているところを正面から撮らせてくれと注文がくるようになった(おかげでシュート時の無様な後姿を撮られずにすむ)。わたしは嬉々として応じ、スプレッド・イーグルまで披露してやったのである。ああ、これでもっと垂直ジャンプ力があれば。
翌日、カメラマンの数が増しており、フープそばでダンク・セッションの再開をまちわびていた。かれらは運がよかった。カメラマンが二人、フープよりも高い位置にある近くの歩道に陣取っていた。戦略拠点としては上出来である。かれらはシュート場面を上から撮ることができるのだ。ファイ・スランマ・ジャンマは今回もファンの感嘆の声を集めた。おおっとか、うわっとかいう声を聞くたび、わたしは笑いをこらえることができなかった。
残念なお知らせだが、本日の練習以降、ファイ・スランマ・ジャンマは数日の中断を余儀なくされる。本日ベースランニングの際に四頭筋を若干痛めてしまったのである。投手のランニング・メニューをさぼった日の午後にダンク・シュートを打つ様子を目撃されるのは、さすがにいささかまずいと思われるからだ。週末の大観衆のためにも練習を積んでおきたいと思っていたから、残念でならない。まあ、先の楽しみにとっておくのも悪くはない。
何人ものピッチャー仲間たちから先のゴルフの結果を質問された。わたしの答えを聞いてかれらが示す反応を見ると、どうもこいつらゴルフの腕は大丈夫かと思わざるをえない。わたしは89で回った。通常ならばほとんど無関心でおわる数字だろう。ところがチームメイトたちは畏怖の表情を浮かべ、あたかも「おまえ、こんなところでなにやってんだ? さっさとPGAツアーに参加しろよ」と言わんばかりなのだ。場所はフェニックス・カントリー・クラブだと告げるといよいよびっくりしたようである。アダムが86だったと告げたときのかれらの反応をお見せしたかった。
明日は王監督がアメリカ人選手たちをディナーに招待してくださる。きっとおもしろい夕べとなるだろう。
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2月8日
長年プロの選手としていろんなチームでプレイしてきて、最大の喜びのひとつは球界最高の偉人たちに会う機会があったことである。
そして昨晩、わたしは偉人リストにもっとも興味深い伝説的人物を加えることとなった。
王貞治は日本史上最高の野球人である。ベーブ・ルースとジョー・ディマジオとミッキー・マントルとテッド・ウィリアムスをひとつにしたような人物だ。
日本にきて間もないわたしだが、この国の人にとって王貞治がどのような存在なのか直接知る機会に恵まれている。
ちょっと他では見られないような尊敬のされ方である。
王監督は22年間に868本のホームランを打つことで日本野球を世界に知らしめた。
この868という数字はハンク・アーロンのメジャー記録755本よりも113本も多い。
1959年から1980年の選手生活で、日本シリーズに14回出場し、11回優勝し、セントラル・リーグMVPに輝くこと9回。
昨シーズン、王監督はガンと診断され、胃とリンパ節の除去手術を受けた。日本中が大変心配したのも理解できよう。
手術は成功し、だれもがほっとした。しかし多数の試合の指揮を放棄せざるを得なかった。いまは大いに回復されたようである。
悲しいことに恭子夫人も胃ガンと診断され、2001年に他界されている。
スーパースターはオーラを放つ。王監督も例外ではない。
たとえわたしが監督の写真を見ていなかったとしても、1千人がひしめく室内ですらあの人だとわかったはずである。
まさに特別の人という雰囲気をお持ちだが、その通り、特別の人なのだ。
その王監督がわたしを含めて四人のアメリカ人選手をディナーに招待してくださった。
感謝感激である。さらに監督の個人的アシスタントとチーム通訳三人も同席している。
わたしは野球談義が大好きで、とりわけ自分よりも成功をおさめている経験豊かな人の話はとても勉強になる。
王監督には記憶に残る夕べを提供していただいた。
投手が日本で成功をおさめるには何が必要か、とりわけ初来日の外国人投手はどうすればよいのか、それについての監督のお話は大変おもしろかった。
通訳越しでもわたしは監督の考え方を先回りできる部分があった。なにせ監督のおっしゃりたいことに心から同意していたからだ。監督はものすごい視点をお持ちである。
そもそもプロ入りの際はピッチャーとして契約されているのだ。驚くべきことに、監督のお話の多くはわたしが会話を交わしたことのあるアメリカのスター打者の言葉と共通点が多かった。
監督はわたしたちの質問にも快く答えてくださった。おかげでわれわれもずいぶんいろんなことを質問してしまった。
バリー・ボンズをどう思うか、とまで尋ねたやつもいたが、その答えは秘密にしておく。
アメリカでプレイしたいという気持ちにならなかったですかというわれわれの質問に、監督の実に興味深い回答は以下の如し。
当時の日本人選手には海外でプレイするという選択肢はなかったとのこと。ルールで禁止されていたそうだ。
もちろん当時の日米野球でアメリカのスター選手と対戦する機会はあったという。
トム・シーヴァー、スティーヴ・カールトン、ボブ・ギブソンといった名投手とやりあった話を聞かせていただいた。
シーヴァーが一番手ごわかったそうで、これは意外だった。きっとギブソンだろうと思っていたからだ。
わたしがホークスでの経験を文字にしてAP通信のコラムに定期寄稿することを王監督も喜んでくださった。
アメリカ人にも勤勉な日本人選手や伝統ある福岡ソフトバンクホークスのことを知ってもらいたいとのこと。
1995年の王監督就任以来、このチームの運命は一大転換してしまった。勤勉という規範をもたらしたのが王監督であることはだれもが認めている。
日本人選手は猛練習をし、野球場で長時間過ごす。アメリカでのわれわれに較べても顕著に長い。
王監督いわく、日本人選手は誰よりも多く練習する必要があるという。
一般的に日本人選手は世界中の選手と較べて非力なため、猛練習で追いつくしかないとのこと。
基本技術は完璧であらねばならぬ、と王監督はわたしたちに語る。
たしかにうちの選手たちはその言葉を信奉している。たとえばうちのチームは内野守備の練習に毎日45分から50分を費やす。
アメリカでは内野守備練習はせいぜい10分から15分しか続かない。このあいだうちのチームの内野守備練習を観察したが、実に強烈だった。
選手が内野のあらゆる場所でダイブする。スーパースターたちですらダイブしているわけで、ちょっとアメリカではお目にかかれない光景である。
アメリカのスター選手が内野守備練習でダイブしようものなら、チーム自体が練習を中断してしまうだろう。怪我されちゃかなわないというのが理由である。
しかし日本最高額の年俸をもらう選手たちが守備練習で10回もダイブするのを眺めるというのはなかなかユニークなものがある。
日本人の労働倫理に潜むプライドというものがびんびん伝わってくるのだ。これこそ王監督が世界中に知ってもらいたい大切な要素なのである。
驚かされたことは他にもある。王監督いわく、わたしたちには日本での選手生活を野球キャリアの終着点と見なしてほしくないとのこと。
日本で活躍して成功するのはもちろんだが、究極的にはアメリカに戻って日本で得たものをメジャーに伝えてほしい、と。
日本のゲームがわたしたちに与える影響力をアメリカ人全般にも分け与えよ、と。
わたしもこう言おう。日本に来て一週間にも満たないが、すでに以前との違いを感じている自分がいるのだ。
自分を必要としてくれるところにいく、というのが現時点でのわたしの気持ちだった。
しかしアメリカ人選手のためにも王監督の願いをかなえたいと、そういう気持ちになるしかないのだ。
監督は真の野球大使であり、日本という国が野球というゲームを正しく伝えることができると信じておられる。そのことが監督にはとても重要なのである。
わたしが知る監督のなかには、監督とは名ばかりで指導教育という仕事はコーチ陣に丸投げしている人もいた。
しかし王監督は齢66にして自らを監督のみならず教師とも見なしておられる。
自軍の選手たちをメジャー・リーグレベルにまで引き上げることができると心から信じてらっしゃるのだ。
王監督は日本人がいう「縁」というものを強く信じていらっしゃる。
今年、わたしたち4人のアメリカ人がこの地に集結して監督のもとでプレイするのも決して偶然ではないと確信しておられる。
ホークスは特別のチームであると思ってらっしゃるのだ。わたしたちが日本シリーズで勝てなければ、それは大いなる失望に他ならない。
監督はわたしたちに対して時に過酷になり、多くを要求するだろうと語られる。
そうすることでわたしたちから最大限のものを引き出せると信じておられるのだ。
王監督もまた、自身の努力が足りないと見なされることなど決してお許しにはならないだろう。
監督は持てるものをすべてわたしたちに与えようとおっしゃる。そしてわたしたちにもすべてを差し出してもらいたい、と。
この人は野球を愛していて、子供の持つ情熱をいまだお持ちである。これでいいということがない人物なのだ。ガンですらこの人を野球場から遠ざけることはできなかった。
この人はまさに生ける伝説、こののち幾世代も続く選手たちに自分のしるしを残すことに大いなる誇りを抱く人である。
わたしはこの人に会えて、一夕をともに過ごせたことを幸運に思う。
この人のためにプレイすることを心待ちにしている。
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2月10日
昨日も快適なオフ日だった。これで家族がいてくれればとつくづく思う。ミヤザキはほんとうに美しい。みんなと一緒にさぞかし楽しい時間が過ごせただろう。ここに連れてこれないのが残念だ。
今朝はジョージアにいる息子の一年生クラス宛に小包を発送した。前もってなにも言っていないからちょっとしたびっくりとなるだろう。息子のクラスには12名いる。それぞれにホークスのロゴが入ったノートと大きな消しゴムをプレゼントすることにしたのだ。さらに先生には若干の日本円を送っている。外貨がいかなるものなのか子供たちに実物を見せてやってほしいからだ。たっぷり送っておいたので、子供たちは全員10円玉と1円玉をお土産に帰宅できるはずである。
実のところ荷物の発送をするのはこれで二回目である。一回目はシェラトンのベル・スタンドを通じて送ったが、えらく長くかかった。7ページに及ぶ通関関係の書類やらなんやらにあれこれ記入する必要があったのだ。おかげで朝から始めてなかなか終わらず、練習が済んでからも書類仕事を続けるしかなかった。ホテルから国際小包を送る手段はフェデックスしかなかった。フェデックスの受付嬢と20分におよぶ電話交渉の末、ジョージアまでの小包発送には200ドルかかるとの決定を下された。最初にそう言ってくれればずいぶんと時間を節約できただろう。
そういうわけでフェデックスはもはや選択の対象外となったため、チーム通訳のひとりであるタカと一緒に普通の郵便局に行くことにした。これがミニ・アドベンチャーと化したのである。タカがタクシーに行き先を告げると、運転手はもっと近い郵便局があると主張した。ではとばかりにそこに行ってみると、国際郵便は扱っていませんときた。ならばと次の局に行くのだが、左様ご想像の通り、ここも国際郵便はだめなのだ。そこで3番目の局に向かうわけだが、それは最初にタカが名前を出した郵便局なのであった。
この郵便局はずいぶんと使いやすかった。書類を一枚記入するだけで小包はジョージアへと旅立っていった。その費用5700円(約46ドル)。ホテルに帰りついたとき、タクシー運転手は料金3400円を3000円にまけてくれた。なんという男だ!
郵便局騒ぎのあと、アメリカ人チームメイトたちとわたしは地元の商店街に遠征に出た。宮崎のイーオン・モールはアメリカのモールと大差ない。ギャップ、トミー・ヒルフィガー、スポーツ・オーソリティーといったおなじみの店舗に加え、映画館、アーケードにフード・コートといった具合である。大きな違いはただひとつ、すべての表記が日本語でなされているため、わたしたちはただ呆然と立ち尽くすしかない。わたしたちは視線を集めてしまい、とりわけ仲間内で一番でかいバックが目立ってしまった。やがて女子高生の一団が、わたしたちがホークスの選手であることに気がついた。あとは大騒ぎである。
わたしはタカと一緒に楽器店に入り、アコースティック・ギターを購入した。実のところわたしはギター演奏などしないのである。しかし去年の春季キャンプナ中、わたしはギターを弾く男二人と共同生活を送っており、そのためやってみるかという気分になっていた。いわばわかりやすい中年危機症候群である。わたしは通販でギター練習セットを衝動買いしてしまった。エステバン・ギターがケース、ピック、アンプ、DVDその他とともに届いた
自分は本気でギターを習って上達し、CDを出してコンサート・ツアーに出るつもりだったのだろうか? その頃なにを考えていたのか、いまとなってははっきりしない。わかっているのはただひとつ、有名ミュージシャンであるエステバンが仕掛けた餌にわたしが食いつき、見事にランディングされたという一点である。エステバンはわれわれの心の奥に潜む(ミュージシャンになりたい)という願望を食い物にしているのだ。そしてわたしは手間をかけて少しは学習した。野球人生には結構自由時間がある。とりわけロードに出るとそうだ。いまこうして過去10年間を振り返ってみると、昼過ぎまで寝ている以外になんら建設的なことをしていなかった自分に蹴りを入れたくなる。
ご想像の通り、妻はエステバン・ギターを見ても喜ばなかった。完全に荷解きが終わるまえからギターを見るのも嫌になっていた。スペースの関係でわたしは日本にギターを持ってこなかった。しかし楽器店のまえを通りがかったとき、この日本でアメリカ人ロック・スターになるというヴィジョンが頭をよぎったのである。かくしてわたしは二本のアコースティック・ギターの所有者となり、鼻高々である。
この買い物で妻を驚かせてやろうと考えたわたしは、自分の演奏シーンをウェブ・カム・ビデオで送りつけた。妻は寝床から這い出してビデオをダウンロードし、この件に関して電話で話し合った。彼女は舞い上がっていた。妻がわたしの音楽キャリアにどれくらい関心があったかというと、ビデオに写っているギターが家にあるギターと違うと認識するのに6歳になる娘の指摘を待つ必要があったくらいだ。エステバン・ギターは黒で、日本で買ったギターはナチュラル・ウッドカラーなのである。わたしがすでに持っているギター(現在ジョージアのオフィスにて保管中)を弾いていると思っていたわけで、それくらいわたしの第二のキャリアを応援してくれている。
モールに出かけたあと、わたしたち4人は日本行き契約の際にお世話になったスカウトとディナーをいただく予定だった。スカウトの名前はシン・ミズモリであ。われわれをヤキニク(韓国流バーベキュー)に招待してくれた。最終的に12人の大所帯になってしまった。このときわたしはヤキニク・レストランは初体験であったが、いまやベテランと化した以上、言わせていただく。一度も行ったことがないのなら、一度は行く価値がある。
道具立てはきわめて伝統的である。靴を脱いであがりこみ、なんとも低いテーブルの前に座る。食材はユニークである。お肉は生のまま皿の上に整然と並んでいる。このとき注文した肉の名前をここに出してもいいが、それがなんなのかわたし自身がわかっていない。ひとつはタンであったと記憶している。なんの舌なのかは覚えていない。だがタンを食すと聞いて怖気づいてはいけない。わたしは日本到着以来はや12日にしてこれがはじめてのタン食ではないのだ。深く考えてはじめて通常の肉ではないとわかる、そういう種類のものと思っていただきたい。食事の際、わたしはただただ舌の持ち主が文句を言わないでほしいと願っていた。
ヤキニクはなにが面白いといって、その料理法である。というか自分で料理するわけだ。各テーブルには小さなガス・グリルがあり、そこでお肉を好きなように焼く。すでに一口サイズに裁かれた食材が届けられ、それをお箸で焼き網に載せていく。すべて一分もかからずに焼きあがるという仕組みだ。そしてお肉も野菜もだれが食べてもいいわけで、かなりのペースで焼き網上を食材が行き交うようになる。
わたしたちのテーブルには焼き網が二基、野郎どもが七人いた。おそらくみんなでお肉を数ポンドは食べたのではないか。韓国風バーベキューはアメリカ式バーベキューと同様、冷えたビールがよく合うのである。わたしはあまり酒をたしなむほうではないが、日本で一番人気の銘柄であるアサヒを初めて味わってみた。これは癖になる、といっておこう。この食事は素晴らしかった。なんとも漢らしい肉の食らいかたである。みんな大いに楽しんだと思う。なんといってもシンのおごりだったのだ。
翌日はわたしの二度目の打撃練習登板となった。アメリカと同様、ピッチャーは自軍の打者の打撃練習(BP)の相手をするのである。アメリカ流BPと異なる点は、日本では60フィート6インチ離れたマウンドから投げるのだ。また打者はどんな球が来るのかわかっている。まえもってこちらが申告するからである。大部分のアメリカの打者たちはライブBPでは本気でスイングしない。とりわけキャンプの初期はそんなものである。打者たちは球種を確認し、球筋を見る。球が投手の手を離れて捕手のミットに収まるまでの全過程を観察するわけだ。一回や二回スイングするかもしれないが、普通はあまり振らないのである。
わたしの最初のライブBPはかなりうまくいった。しかしスギモトさん(投手コーチ)から冗談交じりだろうが次はもっとましに頼むと言われてしまった。おやおや、とわたしは驚いてしまった。今回は良かったと思っていたからである。実際良かったのだ。なるべく考えないようにしているが、コーチ陣に見守られるとどうしても好印象を与えようとしてしまう。王監督にもわたしの投球を喜んでいただけたようだし、わたしとしてはそれで十分であった。チームメイトたちにもバットの一、ニ本叩き折って一目置いてもらおうかと思ったが、そうそううまくはいかないのであった。
今週末、日本人は建国記念日を祝うことになっている。紀元前660年、日本の初代天皇が2月11日に戴冠されたとのこと。それで月曜日が仕事休みになるため、宮崎キャンプにはさぞや大群衆がつめかけるものと思われる。今日ですらおそらく3万人はいた。明日はもっと増えるだろう。大群衆に見守られるのは楽しかった。ファイ・スランマ・ジャンマを我慢するのはさぞや難しいだろう。
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