日本のチーム・スピリット…魂の叫びを聞け!

C.J.ニコースキーは1995年から2005年までメジャー・リーグ数チームで投手として活躍した。今季は日本でプレイしており、その経験をAP通信に定期的に寄稿してくれる予定である。記事はかれのウェブサイト www.cjbaseball.com に保管される。

C.J.ニコースキー

宮崎 − 日本(AP) − メジャー・リーグで七つのチームを渡り歩き、12回の春季トレーニングをこなしたわたしである。春季トレーニングのメニューなどすべて体験済みだと豪語してもよかったのだが、それも日本のパシフィック・リーグに所属する福岡ソフトバンク・ホークスにて13回目の春季トレーニングを始めるまでの話であった。日本文化はアメリカのそれと好対照をなすのであり、野球も例外ではない。ここ日本では、チームとはなんぞやという真摯な命題からすべてが始まるのである。

日本人選手たちはチームの目標を第一に考えている。個人の目標などチームの究極的目標すなわち優勝における一助くらいにしか思われていない。選手がシーズン目標を立てるのはチームの利益のためであって、個人の損得ではないのである。アメリカ人選手の目からみると、日米の劇的な差はまずホークスが毎朝行うミーティングにあらわれる。毎朝、全選手、コーチ陣とスタッフが宮崎のホテルの屋外に集合する。ちなみにアメリカとは違い、一軍選手はみなチーム指定のホテルに宿泊するのである。

気温は4度前後である。数百ヤード離れた太平洋の浜風による体感気温は考えないことにしよう。われわれはまず2,3分間ストレッチを行う。それから数人の選手がみんなの輪の中心に立ち、腹の底から声をはりあげ、今シーズンの目標を叫ぶ。

某アメリカ人選手がいうこの「決起集会」は、洒落にならないレベルの責任を生み出す。この儀式は報道陣その数4,50名によってきっちり撮影され、福岡および九州全域で放送されてしまうからだ。

宣言が終わればホテルに戻り、9時20分までにバスに乗って春季トレーニング施設に向かう準備をしなければならない。アメリカ人選手ならこの種の伝統にぶつくさ文句をいい、無駄のひとことで片付けてしまうだろう。しかし正直に言うが、これはそう悪くないと思う。背後にあるコンセプトはチームの和の醸成にあるからだ。

バスに乗る前に重大な決断を迫られることをご存知だろうか。わたしの世代のアメリカ人選手が決して直面したことのない決断なのだ。すなわち、喫煙バスに乗るか、非喫煙バスに乗るかという選択である。なにも考えずにいたわたしは、突如として迫りくる選択に呆然としてしまった。選手の40パーセント近くが喫煙者であるため、隔離が必要なのだという。わたしは毎日非喫煙バスに乗ることにした。

午前9時半に紫煙が充満する車中に監禁されるというのもぞっとしない話であろう。何時であろうとぞっとしないと思う。

わたしは日本ではなんであれすべて体験してやる覚悟で来日している。食べ物であれ、地元の慣習であれ、何事にもオープンでいようと心がけている。この機会を逸すれば二度とふたたびチャンスはないだろうから、すべてトライするつもりでいる。したがってホテルに温泉(ホットスプリング)があると聞いたとき、これはトライするしかないと思ったのである。

わたしは当初、天然温泉とは自然が作り出した風呂桶のことだと思っていた。なにせ初めての体験だから、まずはチーム通訳の一人に簡単に説明してもらうことにした。かれの話では、日本人は真っ裸で温泉に入るとのこと。

このホテルにはかなり大きな浴槽が複数あり、15人から20人が一度に入浴できる。しかし水着を着ないで湯に入るという理由がどうにも理解できなかった。通訳氏も一部わたしに同調してくれたので、わたしは温泉遠征の第一回は水着着用にて臨んだのであった。

いざ行ってみると、外湯に二人の日本人がいた。そう、二人とも真っ裸だった(浴槽の深さはわずか2フィートである)。目を合わせないようにしてわたしも湯に入った。温泉体験は実にすばらしく、本当にリラックスできた。家庭用風呂とはまったく違う代物だった。天然ミネラルが混じった温水のおかげで、かつて経験したことがないほどの筋肉リラクゼーションが得られたのである。

十二分にリラックスできたので、体を乾かしたのち、出口へと向かった。出ようとすると温泉入浴に際しての注意書きがあることに気がついた。なるほど、下まで読んでみると、水着着用は禁止と書いてあった。生まれたままの姿でいるか、温泉のなかで身ぐるみ剥がれるか、どちらかである。

ものの本によれば、日本には「ネイキッド・コミュニオン」すなわち「裸のつきあい」なる美徳があるという。温泉のようなリラックスした雰囲気で、身分禄高的バリアーを粉砕して互いをよく知りあうということであろう。ご想像の通り、わたしはどうしてよいのかわからなくなった。日本文化が提供してくれる本当に素晴らしいものを経験したばかりだが、かといって「裸のつきあい」部分に完全に心を許すわけにはいかない。とりわけ赤の他人の同性相手となればお話にならないのである。とはいえ長時間練習をこなしたのち、その日を終えるメニューとして、温泉は理想的である。

一個人のアメリカ人としてはどうすればよいのか?

こう言おう。翌日の練習が終わるまえから、わたしは「裸のつきあい」の一員となりたくてたまらなかった。そういうわけでわたしにとって「コミュニオン」は日曜日だけのものではなくなったのである。


AP NEWS The Associated Press News Service