10日間の休暇

2007年8月14日- 福岡

まずブログの更新が遅れてしまったことをお詫び申し上げたい。家族がアメリカに帰国するという前の晩に、二軍落ちの知らせを聞かされたのである。この決定は、これ以上ないくらい残念だった。

 

前に二軍落ちして以来、私はホークスのために何をしなければいけないかということに本気で注力してきた。左投げのリリーフ投手として、私の仕事は左打者をアウトにすることである。特に、重要な局面において。

 

私としては自分の成果に満足していたのである。6月1日に二軍から復帰して以来、左打者に一本のヒットも許していなかったからだ。この結果には感謝していたが同時にちょっと驚いてもいた。この期間の左打者への被打率.000というのは、私が目指していたもの以上であったからだ。また四球についても、この期間低く抑えていた。4月の四球はちょっと多すぎたが、この期間には2つ与えただけだった。

 

私が「ニグン」に送られた前の晩、1人の打者に四球を与え、もう1人の左打者に直球でぶつけてしまった。過去2ヶ月の間の四死球はそれだけだったのにもかかわらず、その試合が二軍落ちをもたらしたのだ。この種の反応は、外国人投手にとっては極めて普通でないことである。我々は頻繁にレギュラーから外されたり入れられたりすることや、こんなふうに日替わりで投手としての役割を変更されることには慣れていない。このことで辛い思いをしなかったと言えば嘘になるだろう。私が慣れ親しんでいたのは、シーズンの早い時期に投手陣の役割が決定されるというやり方であり、大きな失敗や負傷がない限り年間を通じてそれが相対的に維持されるというものである。ホークスの一員としては、ほとんど1試合のたびに調整ができていなければならず、あらゆることに備えていなければならない。こんな風では調子を出すことが大変むずかしくなるが、しかし私がこの地で野球をしたいというのであれば、実際したくてたまらないのだから、それなりにうまくやる方法を見つけるしかない。それがわたしの前に立ちはだかってきた壁だったのだ。

 

リリーフ投手というものは、一貫した使われ方をされたいというのは以前にお話ししたと思う。我々は習慣の動物であり、ただ座っていて試合で投げないというのは、よろしくないと思う。阪神タイガースの救援陣がいささか羨ましい。3人の投手が43試合以上に登板し、全員が非常に良い結果を出している。ホークスでの最高当番回数は馬原の37回で、素晴らしい成績を収めつつある。もし60試合から70試合に登板することができれば、私としては成功を収めることができるということには何ら疑いを持たないところである。

 

我が休暇は終わった。王監督からは「もっと情熱をもって投げてくれ」というお言葉をいただいた。私はなんとしてもこの適応を果たすつもりである。42試合ほどを残して2ゲーム差。私も加わったこのメンバーで、リーグ優勝に向かってひた走ることを希望している。私にとってチームワークはとても重要だ。容易なことではないかもしれないが、優勝のために必要な戦力は備わっている。