| ひとつの時代のおわり 2008年9月26日 合衆国モンタナ州上空30000フィート 火曜日の試合前に王監督が選手スタッフ全員を集めてのミーティングを開かれた。監督から今シーズン終了後に監督業を引退するとの発表があった。これはかなり衝撃のニュースだった。つい前日の新聞報道によると、王監督は孫オーナーから好きなだけ監督を続けてくださいと激励されたばかりだったからだ。 春季キャンプ中、わたしは王監督にどのくらい監督を続けたいですかと尋ねたことがある。そのとき監督は、監督というものは一箇所にあまり長期間とどまるべきではないと思っている、とおっしゃていた。はっきり明言されたわけではなかったが、今年が最後なんだなとわたしなりに悟ったものである。 とはいえ、シーズンが進むにつれ、王監督は2008年以降も留任されるのではと、思うようになった。健康面も昨年よりは好調のようにお見受けしたし、2007年よりもずっと炎が感じられたのだ。勝利への情熱がいまだおありだったし、監督が舞台から降りるつもりだとは到底信じられなかった。 今シーズンはホークスにとってひどいものだったが、怪我に泣かされたシーズンでもあった。2008年は主軸の選手たちがほぼ全員、なんらかの期間負傷していたという有様だった。サイトウ、ワダ、コクボ、タムラ、オオムラ、マハラ、ミズタ、そしてカワサキがシーズンのかなりのあいだ不在であり、そのため勝てる試合も勝つのがむずかしくなった。100パーセントの戦力で戦えなかった以上、王監督としてはもう一年、全選手をそろえて監督してみたいのでは、とわたしなりに推察していた。わたしは間違っていた。 どんなよいことにも終わりがくるもので、王監督にもついにその時が来たのだろうと思う。監督がチームに語られた御言葉のなかに、なんともわたしの注意を引いたものがった。監督いわく、過去2シーズン、選手たちに信じられないほどのプレッシャーをかけ、かつてないほど過大な要求をしたとのこと。おそらく監督はラストシーズンなればこそなんとしても優勝したかったのだろう。皮肉なことにわたしはまさにその2シーズンを経験していたため、王監督はいつも選手にものすごい要求をされるんだと思っていたのが、じつはそうではなかったようなのだ。 それがわかったからといって、自分の気分がよくなったのかどうか、それはわからない。王監督の下でプレイした日々を振り返ってみると、そう、王監督はわたしの15年の野球キャリアで出会ったもっとも要求の厳しい監督だった。わたしは監督の下でプレイできたことを本当に誇りに思い、名誉に感じている。わたしにとってかけがえのない経験だった。わたしの野球人生は、MLBで11組織を渡り歩いて数ダースの監督に出会うというもので、ついには日本で偉大なる王貞治の下でプレイすることとなった。こう言えるわが身を幸福に思う。 日本野球最高の伝説的人物の下でのプレイを経験し、そのお人柄をいささかなりと個人的に知ることができたというのは、なんともクールである。監督は数回夕食をともにさせていただいたし、何度か一緒に大笑いしたこともある。わたしはいつも会う人ごとに言っているのだが、野球場を離れた王監督は完璧な第一級の紳士であり、外国人選手が快適にすごせるよう配慮してくださる。野球場内では、わたしが知るなかでもっとも要求の厳しい監督だった。選手たちに傑出したものを求められるのだ。ときに理不尽、あるいは過大ではないかと思われるほどの要求がなされるときもあるが、世界のホームラン王の下でプレイするとなれば、ハードルがむちゃくちゃ高くなってしまうのもある意味しょうがないともいえる。大選手たちはなんとしても一番になれと圧力をかけられるものだが、王監督は野球史上最高の選手のひとりだったのだ。監督となられてからは選手たちに同様の圧力がかかることを望まれ、失敗は決して受け入れることなく、常時最大の努力を払うよう求めれらる。選手たちがそうしない場合は思い知らせるというスタイルである。わたしたちはいつもこのスタイルが好きというわけではなかったのだが、大いに尊重したものである。 選手もファンも王監督の退任を大いに悲しむだろう。水曜夜のラストゲームはさまざまな感情がこみあげるものとなり、選手たちもヤフー!ドーム中のファンも泣いていた。監督が福岡のファンたちに残したしるしは決して忘れられることはなく、王貞治の伝説は永遠に続くであろう。 |