北九州を征服したぞ!
2008年6月27日、北九州、日本
ご存じない方に説明すると、北九州市は福岡から車でおよそ一時間のところにある都市である。ホークスはここで毎年2、3試合を行う。私たち外国人選手は、これを「地方球場」または「田舎試合」と称している。
私の北九州初体験は昨シーズンだったが、あまり芳しいものではなかった。じっさい、2007年の2回の登板は不愉快なものだった。その2試合の結果と言えば、投球イニング1回、被安打1,奪三振1,与四球5、失点3(自責点2)だった。とても立派と言えるものではない。私の北九州での登板はひどいものだった。
今シーズンの日程表を見たとき、今年は北九州で3試合あることがわかった。そのとき私がどう感じたか、わかっていただけると思う。
北九州のような場所は、外国人、特に初体験の外国人にとっては、難しい。球場の設備が慣れ親しんだものとまるで違う。フィールドは通常非常に狭くて、ホームランが出やすい。クラブハウスも、それがあったとしてだが、通常とても狭くて大リーグのクラブハウスと比すべくもない。私の「お気に入り」は、もちろんマウンドである。これこそ外国人にとって最大の難物であり、最高の不愉快を提供してくれる。去年のことを思い出すと、こんな球場でプロが試合をし、そこでの記録がシーズン公式記録にカウントされるという事実に深甚なる衝撃を受けたことがありありと記憶に残っている。
日本に来てからどこかの時点で、こういう球場を克服してやろうと決意した。しばらく後に、我が復讐の女神・ネメシスにはお引き取り願って、この困難事を受け入れるべきであると考え始めたのである。
今シーズンの最初の北九州遠征で、祈りは叶えられた。先発投手が完投し、リリーフ投手、特に重要なことには私が投げる必要はなかも含めたリリーフ投手が、不要だったのである。その次の時は、マイナーな故障があって(嘘言ってません)、投球できなかった。3試合のうち2試合が終わって、2008年は北九州では投球しない運命になっていると確信していた。私にとっては実にありがたいことであった。
この北九州最後の試合で、我々は左投手を先発させ、このことは直ちに私が登板する可能性を減少させた。なぜならばイーグルスが9人全員右打者で揃えてきたからだ。私としては、この分ではまた北九州での登板はないな、と賭けてもいい気分だった。
8回にブルペンでウォームアップするように呼び出しがあった。そのとき最初に思ったのは「[何てこった]すごいことになった(oh, great!)」ということだった。我が方の救援投手が炎上し、満塁でノーアウト、しかもスコアは2対2の同点、登板指令が出ることは間違いなかった。
無死満塁、試合は2対2の同点というのは、リリーフ投手にとって最高に困難な状況である。今や私は、よりにもよって北九州で、この状況に直面しなければならないのだ! ブルペンでのウォーミングアップは、いつも北九州において私が最も好まない部分である。マウンドは至ってひどいし、照明も薄暗い。気分が良いとは言えなかった。一軍の試合らしい投球をするためには、自分自身と、まわりの環境と戦わないといけないことが分かっていたからだ。
私の名前がコールされ、マウンドに向かい、そして下を見た。マウンドは、完全にぐちゃぐちゃだった。ピッチャーの踏み出し足が着地するあたりが、まるで誰かが手榴弾を落としたかのような状態だった。いまだかつてこのようなものを見たことはなかった。
絶体絶命の状況でチームが私を必要としてくれているのだから、もはや私にできることは多くはない。マウンドに立って、良い投球をすることに集中し、球場の環境が影響しないように自分に言い聞かせた。
驚いたことに、これが奏功した! 8回の無死満塁の状況を切り抜け、9回もシャットアウトできたのである。我々は9回裏に得点し、私は北九州でよい登板から気持ちよく去ることができたばかりではなく、1勝を獲得し、試合のヒーローとなったのである!
リリーフ投手が試合のヒーローとなることは難しい。それが私に北九州で起きたということは、みなさんをして奇跡を信じる気分にさせることだろう。なぜならばあれはまさに奇跡そのものだったからだ。
そこで、私は北九州のピッチャーズ・マウンドに取り憑いていた魔物を退治したと思うことにした。今夜私が体験したようなとんでもなく困難な状況に挑戦することが、ふたたびあるかどうかはわからない。私としては、自己嫌悪にもならず、チームをガッカリもさせずにあそこを出られたことが、ただ嬉しいのである。