Watashi No Ichiban Tomodachi
もしかしたら、日本の人たちが私の事についてひとつだけ知らない事があります。それは、私がクリスチャンだという事です。私のイエス・キリストに対する信仰は、私にとって非常に大切なものです。私の友達の翻訳を通して、私の信仰について日本の友達と分かち合いたいと思います。
2002年の春、現在は8歳になる私の息子のマシューを、プールの事故で失いそうになりました。彼は当時2歳でしたが、私は彼がプールの底に沈みそうになるのを見つけ、手遅れになるまえに幸運にも彼を助ける事ができました。もし、1分でも遅かったら、彼は死んでいたでしょう。この事がきっかけで、私の人生が大きく変わりました。
その事故を通して私は神様の存在を感じ、神様が私に何かを訴えかけていると信じましたが、その理由が分かりませんでした。それから数週間、神様は様々な人を私に送ってくださり、私が求めていた答えを見つける事ができました。
元チーム・メートのピーター・マンロは、私の神様への信仰がどれだけ深いものか尋ねてくれました。たくさんの人のように、私は自分の人生をどのように生きるかで、正当化しようとしました。私は基本的には良い人間だし、とてつもなく悪い事をしなければ神様に喜ばれ、自分は死んだ後に天国に行けると思っていました。聖書にはそのような教えはなく、全く反対の事が書かれているのです。
私が学んだ事は、私たちは皆悪い事をするということです。悪い事の種類は大小様々ですが、私たちは神様がしてはいけないという事をしてしまうのです。そして、私たちが悪い事をすれば、それは神様の私たちの人生に対する命令に背いているという事です。神様は私たちに完璧な人生を歩んでほしいと望んでいます。しかし、神様は私たち人間には完璧な人生を歩むのは無理な事を御存知です。神様は私たちがたくさんの間違いを犯してしまう人間という存在だという事を御存知なのです。
他人の生き方と比較してみて、自分の生き方は大丈夫だと思うのは簡単な事です。私が米大リーグで投げていた時は、ストリップ・バーによく行きました。他にもたくさんの人達がしていた事なので、私はストリップに行くのが問題だとは思いませんでした。聖書を読むにつれ、私は何が正しくて、何が悪い行いなのかを神様から学びました。神様が究極の審判員で、神様のルールだけが重要なのです。他の人々が大丈夫だと思うからこれをしてもOKだという考え方と私たちが天国に行けるかどうかということには、一切の関係がありません。人々が地球や地球に住むすべての人々を生み出したわけではありません。それらは神様がした事です。何が正しくて、何が悪いかは、この地球を作られた神様が判断される事なのです。
神様は、私たちが間違いを犯しても大丈夫だと言っています。私たちの間違いが神様の掟に背いていても、神様は私たちを許してくださると約束して下さっています。神様からの許しを得るために、神様は私たちにある事をするように言われています。それは、私たちがイエス・キリストが御自身について語られたそのままを信じることなのです。
それでは、イエス・キリストとはどの様な方なのでしょう?簡単に言えば、イエス様は神様の息子です。イエス様は、この地球上で唯一人だけ間違いを犯さなかった方です。彼は神様の掟をひとつも破らなかった程、完璧な方でした。彼は地上に現れた神なのです。
もし、私たちが神様の掟を破ると(例えば、嘘や姦淫)、私たちは神様によって罰せられます。しかし、神様はその罰から逃れる道を私たちに与えてくださいました。人間の全ての罪のための罰を、イエス様が私たちの代わりに引き受けてくださる決意をされたのです。私たちが罰を受けるべき所を、罰を受ける必要のない神様の大事な宝物であるイエス様が、私たちのために進んで十字架に掛かってくださったのです。
それはまるで、殺人を犯して刑務所に入ろうとしている人に対して、その友達が“あなたの事をとても愛しているから、あなたの身代わりに刑務所に入ろう。”と言って、身代わりに刑務所に入ってくれるようなものです。私にもたくさんの素晴らしい友達がいますが、イエス様ほどの友達はいません。
神様は私たちの事をとても愛してくださっていたので、一人息子のイエス様を私たちの身代わりに恐ろしくて痛々しい死に掛かることをお許しになりました。イエス様は十字架に張り付けにされ、苦しめられたのです。イエス様が神様の独り子で、私たちのために十字架で死んでくださった事を信じる全ての人が、死を迎える時に天国に行けるようになるのです。聖書の御言葉を見てみましょう。
“神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。”(ヨハネによる福音書3章16節)人間が救われるには、ただイエス様の事を信じることだと、神様は言われています。
この事は、日本人には非常に難しい考え方だと思います。日本の文化というのは、非常に一生懸命に働く事から成り立っているように思われます。何かを得るために一生懸命働く必要があると、この国の人々は信じているようです。天国に行くというのは、全く反対の事です。神様は、私たちが一生懸命働いたり努力しても、天国へ行く道を得ることはできないと言われます。なぜなら、私たち人間はいつも間違いを犯すからです。私たちにとって幸いなのは、私たちは完璧な人間になる必要がないという事です。なぜなら、完璧なイエス様のおかげで、私たちは天国にいけるからです。
では、どうやってイエス様に従う生き方ができるのでしょうか?クリスチャンとそうでない人との違いはたくさんあります。まず、クリスチャンはイエス様を愛しています。そして、クリスチャンも毎日間違いを犯してしまいます。クリスチャンは、清らかな生活をしようとベストを尽くしますが、それでも、時には失敗したり間違いを犯してしまう事を理解しています。しかし、クリスチャンはイエス様に対する信仰と信頼によって、私たちの罪が許される事も知っています。イエス様が、私たちが罰を受けなくてよいようにしてくださったのです。この事は、好き勝手に私たちが嘘を付いたり、人を騙したりしても大丈夫だという意味ではありません。真のクリスチャンというのは、不誠実にならないように誘惑と戦うのです。それでも、私たちはその戦いに負けてしまうこともあります。しかし、その事でクリスチャンが誘惑に対しての戦いを止める事はありません。私たちは、何回失敗しようとも、罪を犯さないように、そして良い人間になるように毎日チャレンジしているのです。これがクリスチャンなのです。
キリスト教について、あなたと分かち合いたい事はたくさんありますが、ここで少し基本的な事に触れておきます。あなたに聖書からもうひとつの御言葉を送りたいと思います。私がサインをするときに、私のサインの下に“John 14:6”と書きます。これはヨハネによる福音書14章6節のことを意味し、このように書かれています。
“わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。”
この御言葉がイエス様御自身の事をあらわしています。ここでイエス様が言われている事は、イエス様だけが神様の所へ行ける唯一の方法であり、イエス様への信仰だけが天国へ行ける唯一の方法だという事です。イエス様があなたの過ちのために死んでくださったこと、イエス様があなたをとても愛してくださり、イエス様自らが不当で残酷な死を進んで受け入れてくださったことを信じる事だけが、私たちが神様から離れずに天国で永遠の命を受け、神様と一緒にいられるようになる方法なのです。
イエス様と一緒の人生は、救いの約束だけでなく、人生の目的をも与えてくださいます。イエス様を愛し、イエス様に従う事によって、良い事も悪い事も含めた人生での出来事がもっと理解できるようになります。私はホークスの選手として、良い事にも悪い事にも対処しています。試合中に良い事があれば、悪い事もあります。しかし、クリスチャンとしての信仰が私の心を常に前向きにしてくれます。私の人生には神様の御計画があります。それは野球よりも大切なことです。米大リーグと日本でプレーできるように、神様は私に才能を与え、祝福してくださいました。しかし、それは私のためではなく、神様のためなのです。あなたの人生が自分のためではなく、神様のためにあると気付いたとき、自分の人生にもっと楽に対処できるようになり、自分の人生をエンジョイできるようになります。
神様からの救いのプレゼントは、誰でも無償で受けることができます。今日、イエス様にあなたの人生に来てくださるように尋ねてみましょう。イエス様にあなたのすべての間違いを許してくださるように尋ねてみましょう。そして、良い教会を探してみてください。そうすることで、あなたは自由になり、あなたの人生が満たされたものになる事を約束します。
私の信仰告白を楽しんでもらえたなら幸いです。何か質問があれば、遠慮なく私に質問を送ってください。